文学の角度からこの問題に迫ると、またいろいろな角度があることがわかります。
翔の「頑張る」世界への忌避、嫌悪の根拠のようなものは何か(ここが一番本質問題かもしれないが、今の時点で私は答えの予感を得ることができない)。しかし、異なる価値観の相手を尊重する姿勢は持っていて、その両立というのは、成熟社会市民としての良識を示しているような気もすること。翔は、時間軸の観点からも、両者の平和的共存について、リアル・透徹した眼を持っていると思われ、その点では珠緒の成熟度を上回っていること。一方で、試行錯誤から得られる尊厳の深まりという、両者の「架橋」可能性の、まさに橋のたもとに立てていないことの悲しさもあるということ。等々。
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