2011年7月31日日曜日

高塚猛・中谷彰宏「抱擁力」読みました

感謝しよう、役に立とう、オープンにふるまおう、相手の成長を観、喜ぼう。そして触れ合おう。

2011年7月30日土曜日

小池龍之介・宮崎哲弥「さみしさサヨナラ会議」読みました

自省は成長の核心。で、テクニックとしては、記録が大事、というお話。記録とは何か。自己客観視のよすがである。その密度をもっと濃くしてみよう、それが仏教トレーニングである。
最近、怒ったとき、笑顔をつくることが意識的にできるようになってきた。まだ途上ですが。

2011年7月18日月曜日

海老原嗣生「もっと本気で、グローバル経営」読みました

バートレットのマトリックスというのは今ひとつ腹落ちしない。著書では顧客、および商品を軸としたコミュニケーションの態様から更なる分析を試みている。結果、「グローバル」型から他の3類型に進化するのだと整理している点がユニーク。通説は「トランスナショナル」型が最終進化形としているところ。英・現地語公用語問題も、この切り口から類型化していて、説得的。

2011年7月17日日曜日

南野忠晴「正しいパンツのたたみ方」読みました

真っ当な生活での視点。おたがいさまの視点。そして自立のイメージ深化。こういう言説量が少ないですかね。正しいパンツのたたみ方を知らない私の生きる道は、ばかな私でも気に入ってもらえる女性を質量増やすこと、で目標が明確であります。

菅野覚明「神道の逆襲」読みました

宣長の「もののあはれ」の解説が秀逸でした。「人はなぜ泣くのか」を結節テーマにしたわかりやすい説明でした。私欲への着目は煩悩というか、仏教に連接するところもあります。深く共感します。それに比べると篤胤は「元気よすぎ」なんですよね。単なる性格の問題でしょうか。
それとやはり音楽・物語・時間という形式が表現する本質的なものへの着目。
アリストテレスがなぜ「笑い」に着目できていたのかも、どなたかから教えていただきたいですね。
すみません。着眼=着目点しか言及できない私の力量限界。

2011年7月11日月曜日

中川恵一「がんのひみつ」読みました

自然環境に抗って開発増殖を続ける人間そのものの姿にがん細胞を擬えたメタファーが秀逸でした。
放射線とはなにかについて、続編を読みましょう。

2011年7月5日火曜日

山本七平「人望の研究」読みました

難易度が高いのは、九徳の具備よりも七情の抑制かと。
喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲と。
特に「懼」「愛」「悪」はまいります。すみません。

2011年7月3日日曜日

藤本隆宏「サプライチェーンの競争力と頑健性」読みました

「設計情報の避難訓練」が核心でした。競争と協働、共同体「間」自治の、更なる進化が必要です。

2011年7月2日土曜日

北川達夫「不都合な相手と話す技術」読みました

そうか、フィンランド人は大きな声を出さないんだ・・
やっぱり内心の自由の話。
で、次の問題は幸福感。この本で語られるイシューではないが。その段階では、内心発露とその交流の程度が問題になる。やはり、内心・社会・天然の自然の一致を志向する者同士の間でしか、幸せ感の実現はない。それはやっぱり日本人論にかえってきてしまう。冒頭の「野暮」とは、その志向性水準が低いことを指していう。

広瀬弘忠「人はなぜ逃げおくれるのか」読みました

社会の複雑性の増大がもたらしている変化として、災害による死傷者は減少しているにも関わらず、復旧・復興のための費用、経済的損失金額は増大していること、が印象に残りました。
あと、サバイバーの考え方。子孫のためというよりは、美学ではないでしょうか。
20世紀が戦争の世紀で、21世紀は災害の世紀、も、シンプルかつ本質的な言葉だと感じました。著書の言葉を借りれば、「天」と「人為」との間で悩み続ける世紀、ということになるのでしょう。「天」とは自然と言い換えててもいい。日本教の核心である、内心の自然・社会秩序の自然・天然自然の3者のせめぎ合いと調和が、ますます問われることになるのでしょう。