2011年4月29日金曜日

橋爪大三郎・副島隆彦「小室直樹の学問と思想」読みました

同名の新刊を書店で見たので図書館で注文したら、1992年の本が出てきました。お二人はまた同じ主旨で別時代を捉えた仕事をされたのでしょうか。
宮台先生を通してイメージはできていましたが、改めてですが、学問の良い伝統をきちんと受け継ぐ姿勢で仕事をされているということ。これが素晴らしいという感性が世の中にはあまりない。ともすれば、人の知恵の引用だと受け止められる。お前の考えは何なのだよと。自分がそんなにえらいんですかね。と、まあ、自主独立と謙虚さとのせめぎあいは常にあるのですが。どちらかといえば世の中謙虚さが不足しているのではないでしょうか。
大学1年の頃、経済学部の友達はサミュエルソンを抱えていましたが、新入生にはいきなりハイジャンプすぎるのではないでしょうか。やっぱり、スミス、リカード、マルクスときて、ワルラス、ヒックスときて、という順番ではないのでしょうか。
パーソンズやフロイト・ユングまで視野に入っている小室先生はすごすぎなわけではありますけど。

2011年4月24日日曜日

鎌仲ひとみ監督「ミツバチの羽音と地球の回転」観ました

スウェーデンから日本の森林や海・波の豊かさが見通されているのが印象的でした。
二又には期待してもいいのかな。

2011年4月23日土曜日

ウルリッヒ・べック「世界リスク社会論」読みました

主権と自己決定権のズレ、昨年の尖閣問題の背景にある物の見方の源泉が理解できました。
外部不経済の内部化を、新しい質のリスク発生の主因とみなす、という訳者の解説はわかりやすいですが、それでいいのかな。テロも環境問題も、技術と民主主義の関係だと思いますが。

クリス・アンダーソン「フリー」読みました

難しいテーマです。小室先生の、近代は私的所有権概念の確立から出立したという、その認識の延長線上で、本質を捉えた立論を期待したいです。人類共通財産である共有プラットフォームへのアクセスコストが低くなっていることは、共産主義の下部構造構築ができつつあるといえるかもしれません。

2011年4月17日日曜日

桐野夏生「優しいおとな」読みました

原理的なテーマで。近未来の家族システム崩壊後の自覚的代替共同体構築の試み。ヤマギシに取材されているのでしょうか。シェア、すなわち私的所有権の発展は今日的テーマであり、それを親の子供に対する感情や立ち位置にあてはめたとき、どうか、ということで、一貫した著者の挑戦的姿勢が感じられます。もっと微視的・科学的視座が重要かなと感じます。生れ落ちた瞬間に注がれるまなざしや音声の質とか、それ以前の、母胎への呼びかけとかの連続性のようなものが占める位置が大きいのではないかと。そのプロセスには単数・複数の要素は関数としては弱いのではないか。1対1の相互関係の質が鍵になるのではないか。尊厳のベースの作り方にミクロかつリアルな視点の導入を、と感じます。尊厳のベース形成以降は、ナナメの関係の「優しいおとな」がどんどん登場してかまわない、いやむしろ多対多の関係のリアリティが重要性を増していく。

2011年4月9日土曜日

園子温監督「冷たい熱帯魚」観ました

最後、「人生ってのは痛いんだよ」って、渾身のメッセージを残して死んでいく父親に向かって、「やっとくたばったか、このクソ親父」みたいな娘のセリフがとてもよかったです。ありえるなと。

中野雅至「政治主導はなぜ失敗するのか」読みました

利害調整ということのリアリティに迫っていたのが印象的でした。こういう世界に、書物上で「迫る」こと自体が挑戦的であり、珍しいのではないでしょうか。小説にすらなりにくい。でもドラマはあると思うのです。その論点で、イギリスとの対比。要は専門性への信頼と受容ということでしょうか。畑村先生が、これは米国でしたが、やはり機械工学だったかエンジニアリングの分野での業界団体とその専門性とプレゼンスに触れられていて、そこが業界標準をつくっていく。行政官僚ではない。それを受け入れていく社会の土壌が日本とは異なるという話をされていました。答えは無いのでしょうが、自分を信頼し、他人を信頼する、行ったりきたりの中で、ある種の秩序が立ち上がってくるということでしかないのか。まずはやはり独立自治・自主独立でしょうか。

2011年4月3日日曜日

秋尾沙戸子「ワシントンハイツ」読みました

やはり慰安婦問題は古今東西どこでも。ジャニーさんはやっぱり只者ではなかった。高野山とは。

2011年4月2日土曜日

藻谷浩介「デフレの正体」読みました

著者の事実立脚のすばらしさは以前から承知していたのですが、冒頭に良く知っていた太田川駅が取り上げられていたので本当にびっくりし、また感心しました。今著ではアイデア発想の豊かさもすばらしいのですが、共通しているのは、親密共同体圏内の良き自発性に依拠してお金の流れをつくりだす、というコンセプトでしょうか。生前贈与も生年別共済もそうです。以前企業年金の仕事をしていた時、単純終身年金を年金財政に「翻訳」した時に感じた感覚を思い出しましたが、「取りっぱぐれ」の感覚は、個人所有意識をベースにしている訳で。それはみんなで、という新感覚の広がりに、新しい社会の秩序を期待する、というところでしょう。

齊藤誠「競争の作法」読みました

株も土地も、持ってる奴がしゃんとしろ、という話でした。