2011年2月16日水曜日

豊田義博「就活エリートの迷走」読みました

力作と思いました。
合成の誤謬というのでしょうか。よかれの意思と技術の進展が思わぬ事態を招いたというか。「コミュ力」が鍛えられる若い人も必死の結果なのですね。
主観・客観、日常・非日常の人物観察マトリックスは優れていると思いました。
大卒ユニバーサル時代における、求める人物像の再整理、その帰結としての無制約(就社)社員と、職ベース(WLB型)社員への区分再編の方向。
民主主義の成熟の究極形は、仕事も生活も、オープンな姿勢で全体の要求受容と個人人生方針表明を常にリニューアルし続ける独立自治の人間集団か。
縁故の復活みたいな話は、システムが社会全域を覆う中での生活世界の復活の話と同じ論理か。

岩田健太郎「予防接種は「効く」のか?」読みました

不作為過誤か、作為過誤か。禍福は糾える縄のごとし。なるほどの描写はやる気を萎えさせる、これが複雑な世の中になった証左。

2011年2月13日日曜日

ジャコモ・リゾラッティ&コラド・シニガリア「ミラーニューロン」読みました

難解でした。引用ひとつだけ。
「自律的な音声系への変化は、口-咽頭部による動作の制御を司る運動ニューロンが、他者による同様の動作から生成される音に反応して活性化する能力を獲得したことを必然的に意味すると、認めざるをえなくなる。言い換えれば、音声をそれに呼応する調音ジャスチャーの運動表象へ確実に変えるために、ミラーニューロン系はさらに再編成されたのだ。」
ものまねが創造の源泉である、みたいな。

2011年2月12日土曜日

日経ビジネスオンライン「e-Health革命」読みました

IT活用の要諦は距離問題の解決。それと民主主義の成熟への寄与。

2011年2月11日金曜日

角田光代「八日目の蝉」読みました

人を好きになるとは何なのだろうか。男が女を、と女が男を、というのは違う気もして、そこのところもよく描かれている。
ウェーバー先生がこれほど悩んで狂ってしまった問題なのに。現実のわれわれはあまりにも安易。
とても悲しく、とてもおかしい。
この問題への個人差の激しさは、人間が人間たる証左かも。

2011年2月6日日曜日

畑村洋太郎「直観でわかる微分積分」読みました

速度は時間に関わる概念だが知覚しにくい。まして加速度となるとなおさら。
環境変化を感じ取るには、このような概念の道具と記録に頼ることになるが。優れた人は直観で感じ取ることができる。
筆者は昔、MBOを微分、評価を積分と比喩していたが、それはあくまで自己評価で、時間概念付きの、業績累積値のような積分値を人事評価することは困難。それは人事のシステムとは別個の、自身の、そして人の長期・短期の記憶の中に、いろいろな形で沈殿するもの。

鷲田清一・釈徹宗・内田樹・平松邦夫「おせっかい教育論」読みました

鷲田先生が感染に近いお話をたくさんされていました。
それは、すごい一人から一人への、トータル人物像の伝わり、では必ずしもない、ということ。部分エピソード、すなわち、数学の先生の、車の後部座席にお経があった、のお話は、あるエピソードから謎が立ち上がる様子がよく描かれています。これも感染。
へんな人=いろんな、何かを希求している人がたくさんいる、は感染の契機がたくさんある、ということ。

デビッド・フィンチャー監督「ソーシャル・ネットワーク」観ました

天才ではありますけど、やりたい放題の果ての、紛争と富との混沌。それを淡々と描いているのがとても楽しい。
ウィンクルボス兄弟はしょせん目標目線が低かったとか、サベリンはしょせんアルゴリズミスト(そんな言葉あるか?)でしかなかったとか、そんなつまらないことは言いたくないですよね。
だって、それが人生だからしかたない。
だって、そう、やっぱりエリカが好きだから、のラストもいいですね。
エリカ様、はどこの国でも素敵で、えらいのだろうか。

山折哲雄「愛欲の精神史1性愛のインド」読みました

ウェーバーの禁欲と神秘をめぐる苦悩、インドへの関心の射程はつゆ知らずでした。
ガンディーにしても、キリスト教的な悩みの深さ。倉田百三の言説の背景が改めてわかります。
ラストの形而上学的生理学での精液の取扱いにはまいります。
なぜこんなに深刻にとらえられてしまうのだろうかと。