2011年1月9日日曜日

倉田百三「愛と認識との出発」読みました

こういう古典をきちんと読まないといけません。ラジオで触発されて手に取ったのですが、運命的感動でした。
論文の連なりそのものが筆者成長の軌跡になっていること。愛の二つの機能、祈りとたたかい、は現実感があります。隣人としての愛→千手観音は、「千手」の思いと現実制約との距離のせつなさです。「本道と外道」他での「皮肉問題」は、ずっと心にひっかかっていた問題で、どうにも突破するにも恥ずかしさとのたたかいで・・。
肉交は愛ではない、は厳しいです。殺生の罪と肉交の罪。これがキリスト教か、と初めての感覚でした。佐藤優先生の新約聖書を読んでいきます。
「文壇への非難」は皮肉問題の更なる延長考察で、「その感情には何よりも永い感じが欠乏している」の表現が秀逸です。志という言葉よりもさらに本質的なものを射程している気がします。
「人と人との従属」では、人事の今日的世界でフォローアーシップなどと言っている心持ちのもっと本質的で深い部分での、徳の受け入れ姿勢を指摘していただきました。

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