2011年1月29日土曜日

森清「大拙と幾多郎」読みました

この時代の、各階層での相互扶助のあり様がよく描かれていました。安宅産業はつぶれても、良き意思は時代を超えて引き継がれると信じたいです。

2011年1月22日土曜日

鷲田清一「「待つ」ということ」読みました

難解でした。「開かれ」のような境地への到達の、凡人組織人の典型的な努力はPDCAになります。ゲーデルによって証明済みのPの挫折を通じて、自分以外の時間の流れの多様性、すなわち世界はどのようになっているかを学びます。ショートカットが宗教かもしれません。

2011年1月15日土曜日

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」読みました

極楽トンボな私は、村上さんだって早朝しか頭は働かないんだからましてや自分はなどと感じてしまいました。
肉体のいろいろなささやきを聴くことのできる才能は稀有だと思いました。

2011年1月12日水曜日

中原淳「職場学習論」読みました

「学び」はそれ自体に焦点を当てすぎると非生産的になる。要は、どんな社会、どんな世界、どんな自然にアクセスし、シンクロするか、その態様のリアリティに迫ることが重要。
そういう観点で、業務支援・内省支援・精神支援の職種別分析は面白い視点。お客様というバウンダリは不可思議さ・理不尽さをいや増す。だから内省支援が重要になる、とか。仮説構築の企画職とかはまた違った様相になるだろう。

2011年1月10日月曜日

神門善久「さよならニッポン農業」読みました

「平成検地」:なにごとも現状把握から出発、は問題解決の基本です。
「人から土地へ」:プラクティカルなルールの設定&継続メンテナンスと参加民主主義。共有財産に対するリスペクトと引き受ける政治。
離農プログラムとアジア連携は、社会との連接確保と、リスクマネジメント。
すばらしかったです。

2011年1月9日日曜日

苫米地秀人「幸せ脳のつくり方」読みました

仮観は目標によるマネジメント。あっちへぶつかり、こっちへぶつかりして、ああでもない、こうでもないとか試行錯誤しながら中観に至る。世界観は空観となる。

山下敦弘監督「松ケ根乱射事件」観ました

で、「スプリング・フィーバー」と同じ延長線で、都市の発展段階みたいなイメージを発動したときに、同じではないかと。日本にもこういう場所があるよねというリアリティの切り取りがすばらしい。これは国際的価値があるのではないか。恥ずかしい気もするけれど、これを正々堂々と押し出すことがグローカル化。

ロウ・イエ監督「スプリング・フィーバー」観ました

南京という町のにおいと空気。ほぼ現時点なので、それがよくすくいとれているのでしょう。宮台先生は「町とセックスする」と表現されてました。それは都市の発展段階論のようなものなのだろうか。

倉田百三「愛と認識との出発」読みました

こういう古典をきちんと読まないといけません。ラジオで触発されて手に取ったのですが、運命的感動でした。
論文の連なりそのものが筆者成長の軌跡になっていること。愛の二つの機能、祈りとたたかい、は現実感があります。隣人としての愛→千手観音は、「千手」の思いと現実制約との距離のせつなさです。「本道と外道」他での「皮肉問題」は、ずっと心にひっかかっていた問題で、どうにも突破するにも恥ずかしさとのたたかいで・・。
肉交は愛ではない、は厳しいです。殺生の罪と肉交の罪。これがキリスト教か、と初めての感覚でした。佐藤優先生の新約聖書を読んでいきます。
「文壇への非難」は皮肉問題の更なる延長考察で、「その感情には何よりも永い感じが欠乏している」の表現が秀逸です。志という言葉よりもさらに本質的なものを射程している気がします。
「人と人との従属」では、人事の今日的世界でフォローアーシップなどと言っている心持ちのもっと本質的で深い部分での、徳の受け入れ姿勢を指摘していただきました。