2010年4月30日金曜日

小室直樹「論理の方法」読みました

当たり前と思っている概念の発源を明らかにする手立ての対象としてまず所有権が取り上げられていたことが新鮮でした。
静学と動学はなるほど。学問における時間概念の浸透は未だINGなのだろうと思います。会計における1YEARルールその他。1次元加わるイメージなので、複雑性は倍どころではなく、それこそ時間がかかるのでしょう。
「政府は外生変数」「外生とはシステムの外から与えられる」つまり暫定的神をつくることか。学問は暫定的神を小さくしていく努力のことか。
それにしても、センス・オブ・ワンダーで目的合理性を捉えると、これほどすごいことになるのか。行動的禁欲から天皇制までつながっていく。どうりで、会社にいる時と、家に帰ってからの気分が違うこと。今後少し自覚的になれるでしょうか。
「であること」から「すること」への変化は、まさに今日のグローバル化における多様性許容への方向性を言い当てたものといえるでしょう。

2010年4月29日木曜日

酒井穣「はじめての課長の教科書」読みました

課長は「ナレッジ・エンジニア」は言い得て妙、と思いました。ラストの、情報の圧縮・解凍能力がその肝と理解しました。

内田樹・釈徹宗「現代霊性論」読みました

センス・オブ・ワンダーは、「表出の根」への志向で、必然的に身体性を帯びる。「ヴォイス」も含む。

「儀礼の起源を言えない」態度は、センス・オブ・ワンダーと軌を一にしながら、「みんな」=ルソーの「一般意志」へと連接する。

遙洋子「死にゆく者の礼儀」読みました

伊東さんのに続き、これもすばらしい本でした。
通り一遍でない、自分の目で現実、この本のテーマは「老い」ですが、を観察して紡ぎ出すオリジナルな言葉の数々に胸打たれました。
ラジオ深夜便の中に発見された「技術」(と呼びたいです)など、まさに神は細部に宿る、だと思います。
上野千鶴子氏が同じ内容を学問的なテイストで語ったのを、現実との格闘の中から語っていただいたものと思いました。例えば、「家族がいるから老いが安心なのではない。家族がいるから老いは他人事なのだ」については、上野氏からは家族側の視点での言説の印象が残っていますが、これは老いる本人側からの裏返しの視点ですね。
「辛抱とは、一見大変なことに聞こえるが、実は楽なことなのだ。」 はい、自分も甘えておりました。
「人生を好きに生きるのは、一見気ままに聞こえるが、実は力がいることだ」
これを、なんと言うんでしょうか、パワーエリートみたいなニュアンスでなく、万人への開かれを意識して、人に寄り添いながら、持ちつもたれつ、叱咤激励しあいながら「力」をつけていかれたらいいですね。

2010年4月28日水曜日

「システムの社会理論 宮台真司初期思考集成」刊行記念 宮崎哲弥・宮台真司特別対談聴きました

「表出の根」がキーワードでした。
「表出の根」を同じくする者同士の・・・。トマス・ジェファソンの「自己陶冶に資する自由」のコンセプトがパーソンズの「内なる光」のコンセプトに連なる。
宮崎氏はお元気そうで安心しました。エネルギッシュな聞き手として圧倒していましたね。

2010年4月24日土曜日

畑村洋太郎「危険不可視社会」読みました

畑村先生の専門の機械設計の世界では、「要求機能と制約条件が確定すれば設計解は必ず存在する」という公理があるそうです。安全を要求なり、制約なりできちんと正面から見据えよということ。

いわく、「信じる者は救われる」

また、「アポトーシスする機械」の発想は、私の中では、「設備除去引当金」のコンセプトと結びつきました。誰にでも、機械にも「死」はあり、その見取りを予めきちんと見据えておこう、という姿勢と実務だと思います。死は、必ずしも自殺でなくてもよいのでしょう。

伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー」読みました

これはすごい本でした。
事実、現場から出発すること。缶コーヒーをサリンに擬して追体験しようとする姿勢。あるいは、友情をゆるがない事実として立論していること。覚醒やアウェアネスについての科学的探究。どれもが素晴らしく、類書は無いのではないでしょうか。

2010年4月17日土曜日

苫米地秀人「心の操縦術」読みました

組織論のところで「煩悩を離れる」との著者の表現は、私の言い方ではフォロアーシップの開発、という文脈になります。
キーワードは「ゲシュタルト能力」「臨場感」でした。

今村仁司「親鸞と学的精神」読みました

絶筆ということで力が入っていたと思います。
「横超」=「臓腑的理解」=「全体的直観」、すなわち腹に落ち、腑に落ちるという実感。

「それは、個人がこの世界のどこか(ふつうは特定の家族とその社会のなか)に生誕し、そこで心身ともに成長し、あるときから菩薩心を発して、智慧の探求へ向かう過程の中に入り、まずは世俗道徳を実践し、ついで世俗道徳と同時平行して非世俗的な倫理(ここでは絶対他力に念をかける)を実行し、それの不十分と矛盾を乗り越えてついには絶対他力への乗托の境地を獲得する、という過程の全体である。それはもっとも素朴な自己認識から、自己と他者と自然を含む「存在全体」の理性的認識過程である。」

理知的な努力をこつこつと積み重ねて歩む道にまちがいがないと勇気付けられました。

2010年4月11日日曜日

ヤン・イクチュン監督「息もできない」観ました

圧倒的リアリティでした。主演男優も兼ねていたとは。
朝鮮半島からベトナム戦争に徴兵された人も多いのですね。いらだち・・社会との・・うまく表現できません・・円滑な接合ができない・・遣る瀬無い感情・・と暴力の問題。感情は訪れ・・で、暴力も訪れ・・でいいのかどうか。

2010年4月3日土曜日

ジャック・アタリ「21世紀の歴史」読みました

時間の希少性の高まりについて。必要な知識は7年ごとに倍増しているが、2030年には72日ごとに倍増する。仕事の質はどうなるか。
樋口恵子氏も寿命延長を人類記憶の伝承リアリティの実質変化のようなことを言及されておられました。妊娠期間の短縮とかは同次元の論理帰結なのかもしれません。
あとは自己監視→自己修繕のコンセプトですね。社会の複雑性増大と個人の自由拡大の交差点に立つ、優れた概念と思います。人事で言えば自己評価の逆フィードみたいなイメージです。
「サーカス型企業」もユニークでした。付加価値は研究開発と広告宣伝(販売促進)にしか宿らない世の中、という認識が核心です。
それにしても、ブレア←ギデンズといい、サルコジ←アタリ、といい欧州の知識層の分厚さとプラクティカルさはすごいですね。